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街ぶらり:春日井市JR高蔵寺駅の東側

   

 この1月某日、愛知県春日井市のJR高蔵寺駅周辺を歩いてみた。

 

    JR高蔵寺駅の東側は狭い地区で、古墳時代は森の中だったろうと思う。古墳時代には、終末期の古墳を造るところとして活用されたような感がある。今回、「歴史の里マイスターの会の養成講座資料」として手にしていた図面によると高蔵寺1~8号古墳まで記載されている。駅の南西側は中型の古墳がいくつか残されているが、今回の街ぶらりに含める時間がなかった。

 

    江戸期の春日井郡高蔵寺村では、用水が獲得できていなかったので、安政3年に高座山の東を庄内川に流れ入る玉野川の分水を申し出て許可を受けたとされる。その効果で、徐々に開発されてきたものと思われる。

 

 

    ・江戸末期、 高蔵寺村は尾張国高蔵寺村(尾張藩領)。

 ・明治39年 近世に入り、不二村・玉野村及び雛五村の一部が合併し高蔵寺村となる。

 ・昭和5年  町制施行により、高蔵寺村は高蔵寺町となる。

 ・昭和18年 勝川町・鳥居松村・篠木村・鷹来村が合併して春日井市となる。

 ・昭和33年 東春日井郡坂下町と高蔵寺町が春日井市に編入し、新しい春日井市となり、今に至る。

 

 

     昭和30年代は神武景気の最中で、高座町(たかくらちょう)の東・北・西嶺に高蔵寺ニュータウンが完成し、入居して大賑わいを見せた地区です。

 

 

     高蔵寺駅北出入り口の外に公園のような広場があり、 「高蔵寺土地区画整理事業・竣工記念」の記念碑と,天高くそびえるモニュメントが数本(塔)建っている。 高蔵寺町では、JR高蔵寺駅の駅前広場の改修を計画しているらしいことをお伝えして、静かな街並み紀行のくだりを終わることにする。

 

 

・・・庭先の鈴なりの「ユズ」が鮮やかでした・・・

 

    次ページから、今回撮影した写真を掲載する。

 これだけでは建立日が確認できないが、日本住宅公団総裁と表示されている。

 

    半世紀前のことでしょうか ?     (枯草の背丈からして相当に大きな岩だ)

   

 

     大曽根駅にて街ぶらり」の始まり。上りか下り線か分からぬ?

 JR高蔵寺駅の改札口で13:17

 

「愛知環状鉄道線」も入っている。この路線の正式名称はこうなんだ~

  太陽の姿を-まどわす-塔・・

      

      太陽のコロナが7段以上の前方後円墳に見える。

      白いのは白鳥塚古墳が白いからとして現れたのかな?

 照明塔でしょうが-------

 

      ◎◎◎ のデザインは何だろう?

      単に補強のためかも知れない。

      ジーッと見ているとAIの如し、今にも動き出しそう。

 

終り

2021年1月31日

    投稿者:歴史の里マイスター 坂下信夫