以下は2021年3月30日における有志3名による古墳および万葉歌碑探訪記です。今回は馬見(うまみ)古墳群をめぐりました。興味がおありの方は、どうぞご覧下さい。
2つの復元整備された古墳の墳丘上からの眺めは素晴らしいものがあります。
1988年に復元整備されたナガレ山古墳の東くびれ部から、家形・盾形・囲形埴輪が出ました。築造は5世紀前半。
復元された三吉(みつよし)石塚古墳。帆立貝式古墳。
後円部頂上に、蓋(きぬがさ)、短甲、家型の埴輪がありました。築造は5世紀後半。
乙女山古墳(最大級の帆立貝式古墳)。前方部は小さめ。
造り出しでは、円筒、家形、楕円形埴輪が確認され、墳頂で白色の円礫が採集されました。築造は5世紀前半。
築山(つきやま)古墳。馬見丘陵最南端にあります。桜の中を進みます。
築造は4世紀末。顕宗天皇磐薗(いわぞの)陵墓参考地に治定されています。(蒲生君平によると、武烈天皇陵。)
巣山古墳。外堤の濠内に「木の埴輪」
前方部頂部に長方形壇が、後円部に2つの竪穴式石室があります。
島状遺構に、蓋、家形、盾形、水鳥形、囲形、柵形の埴輪が見出され、長持形木棺の蓋は、船形の上にのせる葬送具と見られています。
新山(にいやま)古墳。大塚陵墓参考地。
金銅製帯金具(西晋265~316のもの)一式のほか、三角縁神獣鏡などの銅鏡34面が出ています。 早くても4世紀中半~末。
新木山(にきやま)古墳。陵墓参考地。
方形透かしと有黒斑の円筒埴輪より、築造は5世紀前半。
広陵町_奈良県北葛城群南東部。
かぐや姫の里。
牧野(ばくや)古墳。丘陵中央の巨大横穴式石室のある円墳。牧野史蹟公園(うまさん公園)内。
敏達天皇(538~585)の皇子、押坂彦人大兄王(おしさかのひこひとのおおえのおう)の成相(なりあい)墓か。
馬見古墳群の被葬者が葛城氏ではないかという推定がなされていますが、少なくとも馬見丘陵は6世紀末までに天皇家の直轄地になっていたと考えられます。
古墳めぐりの合い間には、つくしにお目にかかったり、竹の子に出くわしたりすることがあります。
香芝町の公民館および体育館の近く、二上山が望めるところで次の歌碑を見出しました。
大來皇女
うつそみの 人なる吾や 明日よりは
二上(ふたかみ)山を 兄弟(いろせ)と
わが見む (巻2―165)
額田王
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る (巻1―20)
皇太子
むらさきの にほえる妹を 憎くあらば
人づまゆゑに 吾戀ひめやも (巻1―21)
大來皇女の歌は1回目の探索に登場しています。
あとの2つの歌の背景には、一人の女性をめぐる天智、天武両帝の妻争いがひそんでいます。
馬見古墳群でめぐった古墳は次の通りです。
古墳 | 墳形 | 大きさ/m |
巣山 | 前方後円 | 210前幅 96 後118 |
築山 | 前方後円 | 209前幅103 後119 |
新木山 | 前方後円 | 200前幅118 後117 |
乙女山 | 帆立貝式 | 130前幅52 後104 |
新山 | 前方後方 | 126前幅66 後67 |
ナガレ山 | 前方後円 | 105前幅70 後64 |
三吉石塚 | 帆立貝式 | 45前幅22.5後40 |
牧野 | 円 | 60 |
今回の順路は :近鉄築山駅-築山古墳-新山古墳-新木山古墳-三吉石塚古墳-巣山古墳-ナガレ山古墳-乙女山古墳-牧野古墳-二上山博物館-近鉄下田駅でした。
参考:「大和葛城の大古墳群 馬見古墳群」(新泉社、河上邦彦2006)
新生 イケメンクラブ