
本年2月に続き、三河の古墳・遺跡を訪ねる今回の企画に13名が参加した。まず、安城市歴史博物館に集合し、富野氏(安城市教育委員会)の案内で、続きの建物にある安城市埋蔵文化財センターの展示収蔵庫を見学した。間近で土器などの出土品を直接見られるとても良い機会だった。
その後、現地見学に先立ち、縄文~古墳時代を中心とした常設展示物を西島氏(安城市教育委員会)に解説していただいた。
桜井古墳群は、碧海台地の東縁部とその眼下に広がる鹿乗川・西鹿乗川流域の微高地に立地し、南北約3 Kmの範囲で大小20基ほどの古墳で構成され、葺石はなく前方後円墳と前方後方墳が共存する前期古墳群である。
鹿乗川流域遺跡群は、鹿乗川・西鹿乗川流域の南北約5 Kmに広がる、盛期が弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡群である。
当遺跡群から出土された人面文壺形土器に見られる「人面文」や外来系土器は、広範囲な他地域との交流が感じられとても興味深い。
また、今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」で話題の三河一向一揆のコーナーも追加で解説していただいた。
昼食は、安祥城址公園で各自持参のお弁当を食べた。ここは、NHK大河ドラマの人気によって、これから春に向かって訪問者が増加するのではないか?




その後、鹿乗川流域遺跡群の北群の中心的なエリアと見られている中狭間遺跡(桜林小学校周辺)を左手に見ながら、人面文壺形土器(写真:左)が出土した亀塚遺跡辺りを歩く。残念ながら、住宅が建っていて、当時の風景を感じることはできなかった。亀塚遺跡が北群と南群の境のようだが、往時はそんな分け方はもちろんしていない。

さて、いよいよ、終盤。さらに少し南下した姫小川町周辺に位置する、獅子塚古墳、姫塚古墳、そして全長66 mの前方後円墳、姫小川古墳(写真:左)を見学。後円部の北東側から南西側にかけて周溝が確認されている。これまで埴輪のない古墳と考えられていたが、2016年の調査で壺形埴輪片が発見された。墳丘から木陰越しに見える姫下遺跡を臨む。
補足:上記文中に記述された古墳のうち、写真が添付されていない4古墳を下記に掲載いたしました。(アップロードー担当より)
上段左より 碧海山古墳 比蘇山古墳
下段左よりり 獅子塚古墳 姉塚古墳